ドラクエ30周年につきドラクエの思い出を書く【ドラクエⅤ】
ドラクエ30周年という事で前回に引き続きナンバリングタイトルにまつわる思い出について書いていきたいと思います。
2回目の今回はどのタイトルにしようか悩みましたが、ドラクエⅤにしました。
■ドラクエⅤの思い出
このドラクエⅤというタイトル、
近年は非常に評価が高いドラクエナンバリングタイトルとなっていて、歴代タイトルの中でもⅢと人気を二分しているトップクラスの人気作品になっているように見受けられる。
しかしリリースされた当初の記憶を辿ってみると、結構ぶっ叩かれていた印象が強い。
当時はインターネットもなかったので、自分の周りの知り合いの評価だとか、ゲーム雑誌の評価や一部著名人のレビューなどでしかそれをうかがい知る事はできなかったが、それでも僕の記憶の中では妙に叩かれまくっていたという事実が鮮明に記憶に残っている。
ただ、僕にとってはこのゲームをプレイした感想はそれら叩いている人々とは全く異なるものだった。
陳腐な表現にはなるが、正直感動の嵐というか、心打たれる瞬間が何度も訪れるシナリオに魂ゆさぶられ続けていた。
これについては堀井雄二が当時の何かのインタビューで
「最近はドラクエと同じぐらいFFが人気でしょ。だからドラクエでもドラマチックなお話をやってみようかと思って。だから結婚とか別れとか親子三世代みたいなちょっとベタな要素を積極的に盛り込んだ」
といったような事を言っていた。
僕は当時小学生だったが、同世代の他者の追随を許さないほどにゲームにはまっており、当然FFも全てプレイしていた。
「ドラクエに比べてFFはストーリーがいいよね」といった評価もそこかしこで囁かれてはいたのだが、僕自身は全くそんな印象はなかった。
FFのシナリオはその筋の人達ではなく、適当な大人が適当に作っていると思っていた。
(大人になった今、初期のFFをやるとやっぱそうだな、と思う。テキストのクオリティがあまりにもひどい)
ドラクエのシナリオがなぜこんなに素晴らしいのかというテーマについてはこれまでも何度もその理由を考えた事がある。
そうした中で僕が出した結論の一つが「調和」。
ただただ本筋のストーリーが良いだけなのであれば、それはゲームでやるべきではなく、小説でやればいいと思う。
ゲームのシナリオというのは「それをゲームでやる必然性」というものが必要だと思う。
これを実現するためには素晴らしいシナリオをより際立たせるための様々な要素が必要になってくる。
例えば、シナリオ上で物凄く強い敵として描かれていれば、それは実際に戦った際には苦戦しなければならないと思う。
色んなゲームのあるある話だと思うが、
敵組織の物凄い大物だという触れ込みで、散々直接対決を焦らされたあとで、ついに対決!となったが、
「実際に戦ったらめっちゃ弱かった・・・萎えるわぁ・・・」
みたいな経験は誰しも味わった事があると思う。
この事態が同じゲームで何度も発生すると物凄く気持ちが萎える・・・。
ボスの強さというのはシナリオ上の重要な演出の一要素となるはずだ。
ドラゴンクエストというゲームではそういった直接的なストーリー以外での調和を強く意識しているというのを節々で感じさせる。
例えばドラクエⅤでいえば、ゲマとの負けバトル。
これはドラクエⅢから始まったタイプの演出だが、シナリオをより際立たせるための演出として、戦闘というシステムを用いて強大な敵だったり重要な人物の死を表現している。
ゲマ戦の場合は重要な人物の死と強大な敵の存在をプレイヤーに周知させ、大きなストーリーの枠組みとして、そこで一旦お話が終わるという区切りとしても用いていた。
こういった演出によってシナリオとの相乗効果を生みだすというテクニックをドラクエシリーズは過去様々な形で実現してきている。
ゲーム制作の現場については僕はよくわからないが、縦割りの世界ではなかなかこうはいかないと思う。
アイデアを投下する開発者と横の連携の両方がなければ調和は実現しないだろう。
近年のゲーム開発の現場というのは大規模化してしまっているが故に、面白いゲームであってもどこかチグハグな印象を受けるようなケースが増えたように思う。
思えば開発現場としてはスーパーファミコンの時代の数十人規模というサイズ感が調和を出せるギリギリの規模だったのかもしれない。
少し話がそれてしまったが、僕がドラクエシリーズを好きな理由の一つが調和の取れた世界が存在するという点である。
ドラクエⅤに関してはシリーズの中でも相当好きな部類に入っており、何度も何度もプレイしているわけだが、最初にプレイした時のインパクトは凄まじかった。
レヌール城は普通に怖かったし、ビアンカは頼りになったし、ゲレゲレは可愛いし役に立つ相棒といった感じだった。
ブーメランの爽快感にも酔いしれた。
ヘンリーの性格の悪さにムカつきつつも、トラブルを引き起こした後にはしおらしくなり、そして大人になっていく様を見て何だか好きになっていった。
パパスとptを組んだときの凄まじい強さに感動し、自分もレベルを上げまくればこれぐらい強くなるのかなあ?と妄想をする。
そしてその凄まじい強さのパパスを卑劣な手段で殺害したゲマ。
一転、奴隷となってしまった主人公の悲哀。
悲壮感しかない灰色の奴隷の現場と、明るくて様々な施設のあるオラクルベリーの対比。
ここから這い上がるんだという決意がなんだか勝手に胸に沸いてきた。
唐突なモンスターを仲間にできるという才能の目覚めにはメタ視点的にやや面食らったものの、色々なモンスターを仲間にし、育て、そして敵と戦うという面白さはそれをすぐに忘れさせ、再び世界に没頭させた。
カボチ村でのゲレゲレとの再開は主人公のその特異性を再認識させ、ドラクエⅣに引き続き善悪とは何たるかを考えさせるエピソードとなっていた。
主人公は語らず、雄弁だったヘンリーはもうそこにはおらず、村人側の意見しか語れる事はなかったが故、一切の答えは明示されないというのも逆にこのエピソードの印象深さを際立たせていた。
そしてこの後、結婚というエピソードに連なっていく。
ドラクエⅤといえば、結婚という一大イベントが現在においてはとかくクローズアップされがちではあるが、ドラクエⅤの素晴らしい点は狙ってかそうでないかはともかく、その前後のエピソードについてもきっちりと描かれているという点にあると思う。
僕は多くの少女漫画だったりおとぎ話があまり好きではないのだが、その1番の理由は前後のエピソードが描かれていないという点だ。
少女漫画のプロットの基本としては
1.出会い
2.ライバルとのバトル(三角関係、すれ違い、誤解などが演出としてよく用いられる)
3.主人公とヒーローが結ばれる
という感じになっていると思うが、ドラクエVの場合だと
1.幼少時代(放浪~奴隷)
2.青年時代前半(脱走~結婚~妊娠)
3.青年時代後半(妥当魔王)
という感じで男女の出会いは重要なエピソードではあるものの、その前後もきっちりと描かれている点に相違がある。
これはあくまでもドラゴンクエストというゲームは、ドラゴンクエストなのであり、結婚というのはその中の1エッセンスにすぎないというポリシーがあるからこそなのだと思う。
妙なところで僕はリアリティを求めるというか、
「ああ結ばれましたか、じゃあその後どうなんの?ていうかお前こいつと出会う前はどんなんだったん?」
というツッコミをしてしまいがちだ。
これは別に直接前後を描写する必要性というのは無いとは思うのだが、それを読者(プレイヤー)に匂わせたり、考えさせるようなポイントというのを盛り込む必要性は必ずあると思う。
少女漫画は多くのケースでそういったものがなく、どちらかというと場当たり的な話だったり結果に帰結しがちだ。
ドラゴンクエストⅤというゲームには様々なキャラクターに必然性が存在しており、そして必然性をプレイヤーに強く認識させるだけのポイントを盛り込んでいた。
また、全てをきっちり描くのではなく、プレイヤーに想像させる余地を多分に残しているというのもより一層作品自体に深みを出す一因となっているように思う。
(これは開発期間だとか容量の都合とかそういう狙ったわけではない原因もあるからこそだとは思うが)
良いゲームというのはプレイヤー自身をその世界に没入させる。
ドラゴンクエストⅤというゲームは僕というプレイヤーを徹底的にゲームの世界へと没入させた。
小学生だった当時の僕に、ある種のトリップ感さえ与えた。
創作とわかっているお話の展開で一喜一憂する事など、滅多にない事だ。
これはどんなに素晴らしい映画や、どんなに素晴らしい小説や、どんなに素晴らしい漫画をでも中々体験できる事ではない。
どこかやっぱり、受けて側である「僕」は第三者なのであり、傍観者であるという認識を常に持っている。
ドラゴンクエストⅤはその感覚を失わせる。
「僕」は主人公だった。
世界を放浪して、親父を殺され、奴隷になって、モンスターを仲間にして、結婚して、子供ができて、石にされて、母親と再会して、巨悪を討った。
それは紛れも無く「僕」だった。
こういった体験をさせてくれたゲームはあまり多くない。
他のゲームでこのトリップ感に並ぶのはマザー2ぐらいだと思う。
主人公は「僕」だった。
台詞をしゃべらない主人公、プレイしていない人が外から覗き込めば何の意思もっていないかのように見えるであろう主人公、それは「僕」なんだ。
もうそれだけで、ドラゴンクエストⅤというゲームは僕の一生心に残り続ける。
だって僕はあそこで人生の酸いも甘いも体験しているんだから。
これ以上のトリップ体験などできやしない。
ドラクエナンバリングタイトルの中でも屈指の名作。
これをプレイせずにドラクエ10ばっかりやってるやつぁ、人生損してるぜ!!!
【余談】
色んな意味であまりにもストレートすぎるシナリオだという批判が多かったドラクエⅤですが、
・光の教団(宗教を用いた支配)
・仲間モンスター(モンスターという存在の善悪)
・階層意識(目まぐるしく変わる主人公の階級と行く先々での人々の対応とその変化)
など、結構切り込んだ内容になっていたんじゃないかなあと感じます。
この辺は物凄く僕好みです。
ドラクエⅠやⅡは今やるとあからさまな粗を感じずにはいられませんが、Ⅲ・Ⅳ・Ⅴのシナリオにはほとんどケチをつけるところが存在しておらず、個人の好みはあれど、ある種の到達点に達したシナリオが描かれていると思います。
特にⅤに関しては僕に「宗教」や「階層社会」といったそれまではよくわからなかったものを認識させてくれたという点からも思い出深い作品です。
あ、この記事書いてたらどうしても調査したくなったことがあるんでアンケートを置いておきます。
皆さんはドラクエⅤの仲間モンスターではどれが好きですか?
是非熱き思いと共に投票をお願いします。
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遅ればせながら拝読しましてコメントせずにはおられませんでした!全面同意!
レヌール城怖かったですよね。あまりの怖さに、城の周りで俺つえーになるまでグルグルグルグル…毎夜冒険に繰り出しておりました。
当時は私もFF派(6のストーリーがとてもすき)でしたが、「ゲームである必然性」は6以降どんどん失われていき、その後繰り返しあそぶことはありませんでしたね…
ドラクエ5は移植版出る度に何度も遊びましたw
いつも攻略、考察などで度々拝見し、その都度勉強になっていましたが、
これ程までに狂おしく同意した記事は初めてですw
スマホ版やり直したくなりました。
(オラクルベリーのカジノ合宿をすることになりますが…)
「妥当(打倒?)魔王」だけ気になりました!
個人的に一番すごいなーと思うのは、物語を精査して行くと、実は勇者なんて必要なかったんや! って爆弾が仕込まれてることでした
なにせ、物語上で勇者という属性が必要な場面が存在せず、国で待機させたままでもラスボスを撃破する事が可能なんですから
(正確には、勇者を求めたからこそ主人公が成長し、ラスボスを倒すまでに至った……という形なので、勇者が必要なかったというのは語弊があるかもしれませんが)
今後、どんどん勇者の扱いが小さくなっていったことを考えるに、そういうメッセージも含んでいたのかな―、とか思ってます
DQ5は初めて自分の力でクリアした作品でした!
会話に漢字が出てくるようになり、「親父」が読めなくて親に聞いたりと、、、
そんなお年頃だったので、子供との再開直後にブオーンに何度も挑み全滅を繰り返すアホな子でした。
親子3世代に渡るストーリー、結婚イベント、DQ5大好きなんですが、自分が女であることが悔しくてたまらない作品ですw
さすがビジネスさん!本当に共感できる感想ばかりです!ドラクエは何度もクリアする毎に感想が変わりますよね、僕にとってⅤはそういうゲームです。初めてプレイした時はまだ精神的に子供過ぎて、友達から「フローラ選ぶとゴールドとかアイテム貰えるよ」とか言われて、何も考えずフローラ選びました。子供も髪青くて攻略本みたいにかっこ良くなーい、とか思って、正直ⅠからⅥの中でも評価は高くなかったです。しかし、高校、大学、社会人と歳を重ねる毎にⅤの味が良くわかるようになってきました。僕はゲーム大好きなのですがソフトをあまり沢山は持ってなかったので繰り返しドラクエのナンバリングタイトルをループしてプレイしてました。やはり自分も恋愛をして結婚をして子供もできるとⅤの評価はどんどんと高くなってきます。むしろここまでの作品はもう世の中には現れないと思います。パパスの自分への想い、ビアンカ、子供たち、そしてヘンリーに対しての複雑な感情…。全てが深く心に残ります。
長文失礼しました。まあ大学のころドラクエⅤ好きの彼女に、初めてやった時フローラにしちゃってさ、と言ったらマジで軽蔑されましたが…。まあ今の妻ですが、Ⅴの話では頭が上がりません。
アンケ、だれか大切な人わすれてません?
あと未だに嫁騒動があるあたりに
ゲームに罪は無いけどファンは・・・みたいな
ネガティブイメージはどうしてもつきまといますね
フィンラケ厨といい結婚モノはいかんですよ!
シナリオはベタベタでまあそれは悪い事じゃないんだけど
ゲームとしてみるとやっぱ自由度が低いんだよなあ5
本当に行動範囲が一本道で寄り道も殆どないし
仲間は一部のピエールとか以外はハシゴ推奨だし
当事もぼんやりとは感じていましたが
今見ると改めて強く感じます
Vは本当に大好きな作品です。
マスターの語るVに、懐かしさでいっぱいになっていたら、さらにマザー2を挙げてくるなんて!
あ~~~なんかもう嬉しくってたまりませんね~
Vは「人生」そのものをロールプレイさせてくれるゲームだと思っています。
オリジナル版(SFC)もリメイク版(PS)も相当やりこみましたが…
これがね、面白いんですよ、自分の実年齢&人生経験で感想が変わっていくんです。
最初にVをプレイしたときは、まだ若くってw親のすね齧りながら妄想にふけるようなお年頃だったので、やっぱりビアンカが好きで好きでたまりませんでした。
結婚式の前日とか、もうドキドキして、静かにたたずむアンカの横顔(イメージ)が綺麗すぎて、答えはもう決まっているのに朝にできなくって、無駄にぐるぐる街中を歩いていましたねw
でも、自分も大人になって独立して、子供を持ってもおかしくないような年齢になってからプレイしたら、今度はむすことむすめがめちゃくちゃかわいく、そしてせつなく感じました。
生まれたばかりなのにロクに一緒にもいられず(どころか石にされて動けないし)
一番可愛い盛りなのに、戦いをさせなきゃいけなくって
おかあさん(妻)との思い出がないとか、自分の幼少期とまるで同じ運命にさせちゃって…
ここにきてようやくパパスの苦労とか苦悩、そして愛情がわかって…
本当にせつなかったですね。
あれからさらに時がたち、だいぶ(←笑)大人になった今プレイしたら、今度はどんなキモチになるんだろう?
また違った視点で物語を見ることができそうな気がします。
私もⅤのストーリーはキョーレツに記憶に残っています。
この先一体どうなるんだろう。自分の選んだ選択肢は本当に正しかったのだろうか。パパスのカタキは必ず取るっ!
ファミコンデビューが周りよりも遅かった私が、初めてドップリ感情移入してしまった作品です。
ゲームを遊んでいるというよりは、ひとつの小説を紡いでいく感覚に近かったことを思い出します。
なつかしいですねぇ。本当になつかしい。
Ⅹはすでに引退した身ですが、マスターの記事はいつも拝見させてもらっています。
記事を読むだけで読み手を実際に遊んでいるような感覚にさせてくれる、そんなマスターの記事が大好きです。
これからも(ひとりで勝手に)期待しております♪
思わずアマゾンポチしそうになりましたw
ドラクエ世代…というよりも鳥山世代な私は5にはちょっとモヤモヤが残ってますw
開発途中の情報で戦闘背景や街の人々 も「鳥山明!!」って感じのスクショや設定資料が公開されてて、幼心に「スーファミsugeeeeeee!!!!!」と盛り上がってたのですが、
実際のゲームではマップチップそのまま貼り付けたような戦闘背景、細部までは見分けがつかないドット絵待ち人…と落胆したのを今でも覚えてますw
思えば8に強い感動を覚えたのは「鳥山明の描くような世界を冒険出来てる!!」て部分が一番かもw
5本編も大好きなので早くブオーンやゲマ実装してほしいですね!つかりっきーよおおおお!ゴンズグラ作ったなら次のボスはゲマやろおおおおお!!!!!期待しちゃうよん
ドワチャッカより愛を込めてシリーズ書いてよ
この当時私はすでに大人で、かつSFCはRPGをプレイする機械といえるほど
浴びるように次々遊んでいて、
むろんDQVも発売開始の瞬間から遊びまくり何度もプレイしたものだけど、
とはいえ年齢的にゲームも漫画も色々読んできた中で、
普通にこのゲームを遊んだ。
シナリオ自体と言うよりゲームプレイを通じて味わう相乗効果によるドラマ体験が
楽しさだった。
むしろDQVにおいて印象的だったのはやっぱり豊かなパーティ構成であって、
モンスターを仲間に出来るというのも、結婚相手によって奥さんの呪文が変わるところも、
何度でも遊びたくなる最大の要因だった。
つまりは、システムをもっとも楽しんだってかんじかな。
Masterが、もう少し遅く生まれても、早く生まれても、
記事のような感想や感動は得られなかったかも知れない。
Masterにとって素晴らしい出会いでしたね。
いや、私としてもトップレベルに好きなナンバリングタイトルですよ。
DQもFFも、5番目がとにかく育成欲求を満たしてくれましたからw
ストーリーも大好きですが、やはり仲間モンスターシステムは偉大だと思います。
楽しみ方と遊び方に圧倒的な幅が出来る素晴らしいシステムのお陰で、何周も楽しく遊べましたねぇ。
ボスの強さって重要ですよねぇ~
3.2の叩かれまくったボスたちもあの強さに見あったシナリオがあれば、不満は出なかったろうになーなどとよく考えていました。
そもそもボスそのものが強い弱いに限らずシナリオがあってこそ成り立つと思うんですけどね!
最近のドラテン…めちゃくちゃだよなぁ…
いきなり出てくる色違いと戦わされてもねぇ
まぁ3.3はよかったとは思いますけど!
ビジネスさん
ありがとう!
ドラクエがホントに好きで
ドラクエをプレイして
記事にしてるのを感じるこのブログが好きですw
マスターは他のブログにはさほど興味ないようですが、
ここの更新ない時はたまに他の見てて、その際
30周年宝箱の黄金の花びらを公式がゴールドを販売してる→みんなでバッシングしまくろーって、けしかけてる
自称プロの人の記事を見ました。
二度と見に行かないと誓いました。
好きでプレイしてて、ブログまでやってんのに
なんでかなーっと。
ま、確かに間接的にだけどゴールドになるなとは
思いますが、とくに買わない人にも影響ないし
そもそも、ソフトの販売元が自分とこの商品関連で
商売して何がいけないの?と
長文気味で失礼しました。ちょっと言いたくなったのさ。
まさか、5を記事にするとわ!ビジちゃん!
てっきりまた3かね、なーんて斜に構えてしまったよ!
僕の2大巨頭マザー2とドラクエ5!あとは、クロノトリガー!時をまたにかける物語は難しいと、子供ながらに思ったよ!
そんなに叩かれてましたっけ?自分にとっては不朽の名作なのでそんなイメージなかったんですけど…
でもよくよく思い返してみれば、あの当時はFF人気が上がってきていた時期で、ドラクエはもう古い、これからはFFみたいな空気は確かにありました。でも5の発売後はそりゃもう学校でもドラクエ一色でしたよw FF派?の友人も夢中になってプレイしていました。あの頃のゲーム、熱かったですね。自分が若かったとも言えますが。
ちょっと思ったんですが、叩かれてたのって新興宗教を敵役にしたからというのと関係ないですかね?そこはあまり突っ込まない方がいいかな?w
ただただ同意。自分と同じ、それ以上にDQ5に熱い思いを抱いてる人を初めてみて感動しました。
マザー2を同じ土俵にあげたところも、わかってるなあとニヤリとしました。
ところでマスターは小説版DQ5は読んだことありますか?
DQ5の世界観を適切な色合いで描かれていて、わたしは大人になった今でも読み返すくらい大好きです。
色々賛否両論わかれる作品だとは思いますが、わたしは掛け値なしに傑作だと思ってます。
はじめてやったRPGがドラクエ5でいまでもドラクエシリーズでは一番すきです(^ν^)
石になって季節がどんどん過ぎていったシーン、子供ごころにとても悲しかったのを覚えています。
とても楽しい記事ありがとうございました!
他タイトルもぜひお願いしますw
悲しいかな、エニックスなんだよな・・・やっぱり。
今はスクエアなんだよな、結局。
FFも好きだったけど、ドラクエを作るのは無理なんだよやっぱり。
なんとまあ、おっさんのハートを鷲づかみにする記事!
記事を読んで、素直な感想として、よく覚えてるな〜の一言。ドラクエシリーズは全部やってるはずだけど、どれがどれだかストーリーも部分部分を少し覚えてるくらい。
そんな私ですが、ストーリーと世界観が一番好きで一番覚えてるのはマザー2ですかね。実世界とはほど遠いけどなぜか実世界の夏休みの夜の冒険ってイメージ出来て、はまったのを思い出しました。
初めてプレイしたのがドラクエ5で印象深いタイトルではあるものの、仲間モンスターあんまり記憶にないんですよねー
なのでアンケには参加しませんでした 笑
記憶に残っている敵は間違いなくブオーンです
子供心に封印解けるとヤバいのがでてくる予感あったし、塔に迫ってくるシーンは普通に怖かったなぁ
リアル世代の思い出としてはやはり、エスターク仲間説は外せないのではw
全国規模で似たようなデマが流れるって、ネットもない時代にすごいですよね。
だいたいクラスに1人くらいは「俺仲間にできたわーでもセーブ消えたから見せられないわー」という友達がいたものです(笑)
演出上の描写・シナリオ上の設定とゲームシステム上の能力などの不一致は萎えますよね。
プレイヤーが取り組めるのはゲームシステム上でのプレイだけなのにそこが連動していなくては逆にゲームプレイがシナリオに全く寄与しないことを暗に伝えてしまっているようなものですし。そこを上手く隠せていれば一本道シナリオでも窮屈には思わないものです。
プレイヤーが頑張った→人々「良かった、ありがとう」を素直に感じるためにも大事だと思います。
クリア後の街の人とかみんな同じようなことしか言わないのにドラクエだと結構話しかけて回ってしまうのはそういうところがあるからなのかもしれません。
シナリオ上の困難な状況とゲームシステム上の困難が良くリンクしたソフトと言えばFEトラキアとかもいいですよね。初期の所持金が0で都合よく軍資金をくれる村長もなくプレイヤーがプレイ(敵を捕える)でなんとかするしかない。
トラキアの評価が高いのはただ難しいからじゃなくて難しさの方向がシナリオ上の困難な状況と一致しているからこそ、自分のプレイによってシナリオ上の困難を解決していっていると感じられるところにあると思っています。背景もなくただ異常に強い雑魚を沸かせて難しかろうと言われても萎えます。
読んでてスゲー楽しい記事でした。
ドラクエⅤの思い出をこんなに共有できるとは、、、
Ⅶも頼んます。
わたしにとって、まもの使い、ってまさにこのVの主人公のイメージなんだよな。
青年になった主人公の「僕」は天空の勇者を探す旅に出たが、可愛い幼少の「僕」の双子の成長期に、石化され、そのとてつもない絶望を、まさに探していた天空の勇者が救いに、しかしその勇者とは、、、!
異論反論あり得ない!ダントツのナンバリングタイトル作ですね